「先ず隗より始めよ」の恐怖
得意気に使った故事成語があとで誤用であったことがわかり、恥をかくことがある。現代日本語の誤用の多くが、古典的知識の欠如に端を発していること(言葉の成り立ちを知らない)に原因があるようだ。
安倍首相が「先ず隗より始めよ。先ず5人の女性に入閣していただいた」と女性閣僚起用について語った。「先従隗始」は最近しばしば使われる中国故事だが、本来の意味とは異なった使われ方をしている。「手近なことからまずやりなさい」「言い出した者が始める」と英語「レッツビギン!」のような意味で使われることが多いが、本来「先従隗始」はもっと深謀遠慮が込められている。「まず私を優遇して下さい。大した才能のない私ですら優遇されるということであれば、もっと有能な人材が集まってくるでしょう」と。つまり、私とは厚遇を受ける側の言葉なので、選択する側の安倍が人材登用について語ると、あまり才能のない人をとりあえず選んだ、という意味になり、5人の女性閣僚には失礼千万なことになる。中国故事の使い方としては適切な言い回しではない。ところが不思議なことに、世論調査によると、安倍内閣の支持率は55.7%と、8月より、およそ4ポイント上昇した。国民は女性閣僚5人登用を評価したものとみられる。表面的なムードに左右されやすいのが日本人である。しかし世界の見方は大きくことなる。安部の右傾化に対して批判が強まっている。数年前の写真だが、高市早苗と稲田朋美が極右代表との記念写真が問題となっている(写真は2011年頃のもの)。欧州人はネオナチや鉤十字の旗に対して嫌悪感やタブーがあるが、日本では卍は仏教で使われるので抵抗感がない。国際化が進む中、「先ず隗より始めよ」というけれど、これは無定見で済まされまい。
日独伊防共協定の悪夢が思い浮かぶ。安倍首相には祖父岸信介が憑依しているのか。
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