無料ブログはココログ

« ナポレオンのモスクワ入城 | トップページ | 地理地名こぼれ話 »

2014年9月14日 (日)

村岡花子と「赤毛のアン」

Img_0006  

   NHK連続テレビ小説「花子とアン」も終盤に向かう。村岡花子(1893-1968)は明治26年、キリスト教徒の安中逸平の長女として甲府市に生れる。昭和2年、母校東洋英和女学校の先輩であり、佐佐木信綱門下の先輩でもある片山広子(1878-1957)から贈られたマーク・トウェインの「王子と乞食」の原書をひもとき初めての翻訳出版をした。以後、E・ポーターやパール・バックなどの作品を訳出する。村岡花子が運命の本に出会ったのは昭和14年のことである。教文館で、共に雑誌の編集をしていたミス・ショーが、国際情勢悪化のため帰国する際、別れ際に「アン・オブ・グリン・ゲイブルス」をくれた。村岡花子はこの希望に溢れた少女の物語を、戦争中に翻訳した。戦後、日本の出版界は、戦前にあったものの復刻に追われていたが、ようやく「赤毛のアン」を出版にまでこぎつけた。問題となったのはタイトルだった。原題の直訳「緑の切妻屋根のアン」では長すぎる。編集者・竹内道之助から「赤毛のアン」というのも候補にあがったが、花子は気にいらなかった。「直接的でデリカシーに欠く、ロマンティックなアンなら絶対に嫌がる」と、思った。そしてさんざん話し合った結果「窓辺に倚る少女」に決定した。しかし、家族のお茶の間会議で、大学生だった娘みどりの猛反対に遭い「断然赤毛のアンよ!」という意見で最終的に村岡花子「赤毛のアン」が誕生した。昭和27年5月10日、アンは日本の読者の前に初めて登場した。

   戦時下を描くドラマはワンパターンである。軍国主義の波に抗いながらもヒロインは健気に生き抜く。実際の村岡花子の戦時下の著作を見る限り、中園ミホの脚本とは大きく異なる。「子供たちの裡にこそ大東亜精神を築き上げるべき」と述べ、大政翼賛会後援の大東亜文学者大会に積極的に参加している。戦争遂行には協力的な姿勢を取っていた。ドラマはあくまでフィクションとみるべきだろう。

« ナポレオンのモスクワ入城 | トップページ | 地理地名こぼれ話 »

「世界文学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ナポレオンのモスクワ入城 | トップページ | 地理地名こぼれ話 »

最近のトラックバック

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30