実篤論
評論家の立花隆の書庫兼仕事場を爆笑問題が取材した番組をみたことがある。とにかく本が多く、地上3階、地下1階のビルを建ててしまった。10万冊あるというから私のほぼ10倍になる。かつて立花は武者小路実篤を評して、「中学生くらいだと、気持ちがシンクロするようなところかあるけれど、実は、たいしたものではない」と発言している。本に書いているかは確認できなかったが、立花の本名は橘隆志という、有名な農本主義者の橘孝三郎は父のいとこになる。橘の愛郷塾の前身である兄弟村は実篤の「新しき村」と並び称せられていたから、ルーツは近い関係にある。武者の作品が中学生くらいの若い人にふさわし点は認めるとして、文学として平明で、あまり価値がないとする意見には賛成しかるねものである。実篤の特徴としては楽天主義が挙げられる。終戦後、公職追放の令状を受けた直後に次の一文を書いている。「国家は思ひ切って、日本の美化を考えるべきだ。軍備にかけた金、満州にかけた金を内地の生活や美化につかったら、日本はどんなに美しい国になったろう。戦争につかった金と労力のことを考えると、勿体ない話だつたと思う。今後は日本が本当に平和な国になったら、どんな面白いこともできるのだと思ふ。思ひ切った美しい、大きな文化の花を咲かせたい。国家で奨励し、人才をその方に発揮させれば、すばらしいものが出来ていたはずだ。民間から、有力者が出、人々の協力を求めて、民間の仕事をもっと積極的に生かし、求める人々が、自分の求めているものをつくり出すことが必要だと思ふ。そう言ふ人々が、あつち、こちに出ることを自分は望んでいる。そして人生には、いろいろ不幸なことも、恐ろしいことも、醜いこともあるのは事実だが、それと同時に、或はそれ以上に、人生は愛と美の無尽蔵の宝庫である。事実を示してもらひたいと思ふ。自分は信じて疑わないのである。「人生は、美と愛の無尽蔵の宝庫であること」を。古今東西の天才はそれを証明していることを自分は信じるものである。(文芸誌「黄蜂」1949年2月号)
« 逸ノ城 強さの秘訣は「半眼」にあり | トップページ | カピ子 »
「日本文学」カテゴリの記事
- 畑正憲と大江健三郎(2023.04.07)
- 青々忌(2024.01.09)
- 地味にスゴイ、室生犀星(2022.12.29)
- 旅途(2023.02.02)
- 太宰治の名言(2022.09.05)
コメント