クリスマスの占いで芽生えた愛
本日の朝ドラ「マッサン」で面白いシーンがあった。グレンリベット蒸留所でウィスキーづくりを学んでいた亀山政春とエリーの初めての出会い。1919年のクリスマスに政春はカウン家から招待を受けた。イギリスでは、クリスマスの日のために、何ヵ月もかけてつくるプディングがある。この中に6ペンスの銀貨と、裁縫に使う指ぬきを入れて、占いを楽しむ習慣があった。めいめいでプディングを食べるが、その中に、女の子に指ぬき、男に銀貨が入っていれば2人は将来結婚するという、たわいのない占いである。そしてその占いが本当になる。
物語は、ニッカウィスキーの創業者竹鶴政孝(1894-1979)と妻リタ(1896-1961)の国際結婚のはなし。エリーの実家はグラスゴー郊外のカーカンテロフという人口2万人ばかりの小さな町にあり、今でもその町の市役所に使われているほど大きな邸宅であったという。
20世紀初頭のカーカンテロフの街並みが絵葉書でしのばれる。(Kirkintilloch)












































































日本ではじめてテレビ放送が開始されたのは、昭和28年2月1日のこと。その年の3月末の契約台数は1485台にすぎず、100万台になるのは5年後の33年5月であった。最初はそれぞれのテレビ局が電波塔を立てて電波を飛ばしていたのだが、映りが悪いという苦情も多かった。そこで、各テレビ局が共同して使用する送信場所をつくろうと計画されて生れたのが東京タワーである。昭和32年に日本電波塔株式会社が設立されて、当時世界一だったパリのエッフェル塔より高くしたい、というので380mで設計された。ところが、9月に建設をはじめてみると、途中で資金不足をきたした。そこで、やむなく塔の高さを削り、333mで頂上にアンテナを設置し、10月14日に完成した。それでも当時世界一の高さだった。日本総合電波塔の愛称は「東京タワー」。名付け親は当時11歳の高田幸子さん。そんな東京タワーも今ではスカイツリーにランドマークの王者の地位を譲ることになった。



























「近代日本美術教育の研究」 金子一夫 中央公論美術出版 定価38000円 1992年刊行 818頁。本書は明治期美術教育の展開と各時期の特徴、さらに個別的な諸問題を実証的に明らかにしたものである。














1969年4月、森進一はローマにいた。スター歌手として超多忙な日々を過ごしていたがひとときのやすらぎがあった。昨年出演した番組「スターものまね歌合戦」優勝のご褒美として、初めてのヨーロッパ一人旅だった。夜になると飾り窓にはピンクやパープルのネオンライトが灯り、女の肌がいっそう艶めかしく妖しく映えていた。見知らぬ街角をぶらぶら歩いていると、聞きなれたメロディが流れてくる。なんとそれは「年上の女」だ。森進一はとてもうれしく感じ、初めての異国の夜、ローマの女と楽しい一夜をすごすことができた。






































































1951年のこの日、初めてCMソングを使ったラジオCMが放送された。小西六(現在のコニカ)の「さくらフィルム」のCMだった。幼い頃に聞いて、耳に残っているCMがある。「♪パンパンパンビのバンビタン~」(雪村いづみ)、「ジンジン仁丹、ジンタカタッター」(ダークダックス)、「ワワワ~輪が三つ、ミツワ、ミツワ、ミツワ石鹸」とコマソンがラジオからあふれるように流れ出した。エノケンが歌う「ホホイのホイともう一杯、渡辺のジュースの素です、もう一杯。憎いくらいに旨いんだ。不思議なくらいに安いんだ。へへ、渡辺のジュースの素ですよ」は昭和30年代大人気を博した。「パン試論シロンでパン・パン・パン」「サクマのチャオなめちゃお」「見えすぎちゃって困るの~」「パルナス、パルナス、モスクワの味」「わんさか娘」「この木なんの木気になる木」「どこまでも行こう」「かんさいでんきほあんきょうかい~」
昨年の10月1日、イタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマは交通事故で死亡した。ジェンマが活躍した1960年代、私は映画雑誌「スクリーン」を購読していた。「欲情の島」という映画のポスターを雑誌でみたが、作品はまだ一度も見た事が無い。共演のローズマリー・デクスターがとても美しいので名前はしっかり覚えていた。ジョージ・ぺバードとの「非情の切り札」やクリント・イーストウッドの「夕陽のガンマン」にも出演している。「ロミオとジュリエット」でオリビア・ハッセーより前にジュリエットを演じている。日活「陽は沈み陽は昇る」にも出演している。でも日本での知名度は低い。「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」「セックス・エンジェル」とタイトルからでも危ない映画なので見ていない。結局、彼女の出演作品はほとんど知らないのだが、写真でみるかぎりとても美しい。英語で検索すると、2010年9月8日、病気で亡くなっていた。享年66歳。あれからもう4年が過ぎている。she had been sufering a long illness(長い間、病気で苦しんでいた)とあるが、ジュリエット女優の映画界引退後の人生はどのようなものだったのかだれも詳しく紹介していない。

































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