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2014年8月12日 (火)

徳三宝と三船久蔵

   講道館四天王といわれた西郷四郎、富田常次郎、横山作次郎、山下義韶の次代をになったのは、磯貝一(1871-1947)、永岡秀一(1876-1952)、飯塚国三郎(1875-1957)、佐村嘉一郎(1880-1964)らであった。その後に三船久蔵(1883-1965)、高橋数良(1885-1942)、徳三宝(1887-1945)、中野正三(1888-1977)らの時代が続く。とくに三船と徳の名勝負物語は少年雑誌などの読み物で戦前の少年たちにもよく知られた柔道家であった。

Uid000006_20110517145715621d6efe 徳三宝 明治20年12月12日、鹿児島県徳之島に生まれる。175cm、88kgの体格は当時としては頭抜けた巨漢であった。佐村嘉一郎に見出され、明治39年上京。5月に講道館に入門して修行に入り、翌年1月に初段、同9月に二段、明治41年9月に三段に昇段。翌年4月に東京高等師範学校文科兼修体操専修科に入学、学業と共に講道館の稽古を続け、明治43年1月に四段に昇段、翌年に同校を中退して専ら講道館で修行。誰よりも早く道場に出て、稽古することを目標にして実行、早朝5時からの寒稽古では、電車が動いていないので、小松川から10キロを歩いて一番乗りで皆勤した。大正8年5月に五段、大正15年に六段、昭和8年6月に七段、昭和12年12月に八段に昇段。その間、早稲田大学、日本大学、拓殖大学等の柔道部師範として子弟の教育に専念していたが、昭和20年3月10日の東京大空襲で死去。同日九段に昇段。享年59歳。 名前はふつう「とく さんぽう」と呼んでいるが、正式には「とく みたか」である。

Kyuzomifune 三船久蔵 明治36年、講道館に入門。短躯ながら投げの妙技を発揮、大車・隅落としなどの技を得意とし、空気投げを創案した。大正7年に七段に昇進、講道館の指南役をつとめるかたわら、東大・早大・明治大・日大などの師範を兼ね、柔道の普及に努めた。昭和20年十段に列し、70歳を越えても講道館で後進育成の稽古を続けた。(参考:「柔道大事典」アテネ書房)

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