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2014年8月 6日 (水)

坊っちゃんのモデル弘中又一の命日

D0061579_12491246   「親譲りのむてっぽうで子供の時から損ばかりしている」で始まる夏目漱石の小説「坊っちゃん」は永遠の青春小説といえる。旗本の裔に生まれたが既に両親はなく、その遺産で物理学校を卒業した。幼時より清(きよ)という下女に可愛がられて育った。短気ではあるが正義心の強い江戸っ子である。清に涙ながらに見送られて生まれてはじめて箱根を越えて松山へと出立した。この「坊っちゃん」のモデルは弘中又一(1873-1938)という先生だという。

    弘中又一は山口県都濃郡湯野村第287番地で、父・弘中伊亮、母・タメの長男として生まれる。明治28年5月27日、愛媛県尋常中学校へ単身赴任。漱石は同年4月1日、転任したので二人はほぼ同じ頃中学校に在職していた。弘中は漱石より6歳も若い。弘中は、明治26年に戸澤タカと結婚し、2年後には長男・進も誕生していた。明治29年4月1日、愛媛県尋常中学校東予分校(のちの西条中学)に転任、在職8ヵ月で明治28年11月に退職している。その後、徳島第二分校(のちの富岡中学)を経て埼玉県の熊谷中学に転じ、退職後も熊谷に住んだ。昭和7年3月31日、同志社中学を退職。昭和13年8月6日永眠。松山ではシッポクうどん四杯を平らげ数え歌にうたわれた。

  一つとや ひとつ弘中シッポックさん

  二つとや ふたつふくれたブタの腹

  三つとや みっつみにくい太田さん

  四つとや よっつ横地のゴートさん

  五つとや いつつ色男中村さん

  六つとや むっつ無理いう伊藤さん

  七つとや ななつ夏目の鬼瓦

  八つとや やっつやかしの本吾さん

  九つとや ここのつこっとり一寸坊

  十つとや じゅうでとりこむ寒川さん

   数学の弘中又一(坊っちゃん)、英語の西川忠太郎、漢学の太田厚、教頭の横地石太郎(赤シャツ)、歴史の中村宗太郎(鈴ちゃん)、体操の伊藤朔太郎、英語の夏目金之助、植物の安芸本吾、物理の中堀貞五郎、会計係の寒川朝陽。このほか数学の渡辺正和(山嵐)、校長の住田昇(校長の狸)、高瀬半哉(野だいこ)、梅木忠朴(うらなり)など明治28年の松山中学の教員たちが、「坊っちゃん」という小説によって、永遠の生命が与えられている。弘中が土地言葉で「ボンチ」と呼ばれていたのが「坊つちゃん」の語源となった可能性がある。

   近年、周南市には「釣りをする坊っちゃん像」が建てられたり、松原伸夫「漱石・坊ちゃん先生 弘中又一」が刊行され、ちょっとした弘中又一ブームだ。(参考:宮崎俊彦「坊っちゃんは独身ではなかった」文芸春秋)

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