甲子園の土
負けたチームの選手たちが、甲子園の土を持ち帰るという風習はいつから始まったのか?1949年の夏の大会の敗戦投手が一握りの土を後ろのポケットに入れたことがルーツとされる。優勝候補とされていた小倉北高校のエース福島一雄投手は準々決勝で敗れ、無意識のうちにグラウンドの土を持ち帰った。土を持ち帰った球児は福島より以前にも存在してたいたが、このエピソードが有名になり、福島が「甲子園の土を最初に持ち帰った球児」と言われるようになった。しかし、現在福島は「甲子園の土は持ち帰るな」と語る。「思い出として少しだけそっと持って帰るのならまだしも、たくさんの土をバッグにかき集めて、どうするんでしょうね。甲子園の土はお土産ではありません。それよりも甲子園を目指して一生懸命努力した思い出をもっと大切にしてほしい」と語る。最近、春の大会では、また帰ってくるというつもりで、土は持ち帰らないという学校が増えている。夏の今大会では明徳義塾の岸投手は「自分の中に残った記憶はしっかり覚えておく」と土は持ち帰らなかった。
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