歌人 岩谷莫哀
明治21年、鹿児島県宮之城町(現・川内市)に生まれる歌人、岩谷莫哀(いわやばくあい 1888-1927)。本名・岩谷禎次。七高を経て、東京大学経済科卒。尾上紫舟に学ぶ。短歌雑誌「車前集」「水甕」などの創刊・編集にかかわった。歌集に「春の反逆」「仰望」などがあり、死後「岩谷莫哀短歌全集」が刊行された。
朝髪もけづらずあはれわが妻のしぼれる乳は草に落ちつつ
1923年作。作者は初婚に失敗し、1920年再婚。翌年女児を得て、生活が順調になったと思った矢先、原因不明の発熱が続き、1922年9月、相州平塚に入院、1923年1月、安房館山に転地静養。5月には女児を失うという不幸にさいなまれた。この歌は子の失った悲愁の中でなしたもの。(参考:内田守人「歌人岩谷莫哀研究」)
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多摩墓地にある『歌碑』を見て家人を知りました。私の親の墓が真後ろにあり、いつも拝見しながら強初めて関心を餅しらべたら・・・。
あの歌碑に書かれている「歌」は?教えてください。また解釈が難しいのであれば意味も含めてお願いします。
投稿: 篠原功 | 2016年8月13日 (土) 11時06分
多磨霊園にある歌碑とは「堪えて来し これの月日のわびしさも 馴れてはうれし松風の音」のことでしょうか。人生の悲しみを歌った作品がおおいようです。号も「哀しむ莫(なか)れ」からきています。
投稿: ケペル | 2016年8月13日 (土) 12時29分