無料ブログはココログ

« テルミドール反動 | トップページ | 精出せば凍る間もなし水車 »

2014年7月27日 (日)

リストと七月革命

Img_0001_2     フランツ・リストは1811年ハンガリーのドボリアン(現在オーストリア領のライディング)に生れた。父アダムは、ハイドンにゆかりの深いエステルハージー公家の土地管理人を勤め、楽才もあった。リストは、幼少の頃から父の手によって音楽教育を授けられ、早くからすばらしい才能を示した。17歳の時、ピアノの弟子で、フランスの商工大臣サン・クリクの令嬢カロリーヌと愛し合ったが、カロリーヌの父に仲を引き裂かれる。リストは心に深い痛手を負い、ステージから遠ざかった。「リストは死んだ」という噂まで流れた。リストは病床で宗教書や哲学書、それに恋愛小説まで読みふけり、いくぶん気力を取り戻した。1830年の夏がきた。リストの病気中にパリは暗い雰囲気に包まれていた。ウィーン会議のあとに復活したブルボン王朝のシャルル10世は反動的な政治を行なっていた。その結果、7月のパリは「保守党を倒せ」という群衆の叫び声が騒然とあふれていた。7月27日の正午、リストは窓から、パリ市庁に向かって走る群衆とはためく三色旗を見た。ノートルダム大聖堂の鐘が鳴り渡り、小銃の音が街路に交錯した。29日にはルーヴル宮が市民たちに占領された。このようすを聞いたリストは何ヶ月ぶりかでピアノの前に座り、革命の指導者ラファイエットに捧げる「革命交響曲」の草稿を書き始めた。この曲はスケッチのままでオーケストレーションされなかったが、リストはこれで失恋の痛手から立ち直った。(Franz Liszt,Hungary)

« テルミドール反動 | トップページ | 精出せば凍る間もなし水車 »

今日は何の日」カテゴリの記事

コメント

ラ・カンパネラ、いいですよね。弾くのは難度が高いけど…

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« テルミドール反動 | トップページ | 精出せば凍る間もなし水車 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30