パンがなければ、お菓子を食べればよいものを
18世紀末、パリでは食糧難がはなはだしく、ついに暴動に発展した。1789年7月14日、群衆はバイティーユ監獄を襲撃した。フランス革命の始まりである。ルイ16世の王妃マリ・アントワネットは「ロートリヒェンヌ(オーストリア女)」と蔑みをこめて呼ばれ、浪費癖や薄情な態度は国民の目にも余るものだった。そこにさらに花を添える噂が広がった。それは次のようなものであった。あるとき馬車で町に出かけていたマリ・アントワネットは、人々が不幸な顔をしているのはなぜか、と訊いた。それに対して「人民は食べるパンがないのです」という答えが返ってきた。食糧難で人々は苦しんでいた。しかし、マリ・アントワネットの反応は「パンがなければ、お菓子を食べればよいものを(S'ils n'ont pas de pain,qu'ils mangent de la brioche.)」だったという。ブリオッシとは現在はパンとして扱われているが、当時は贅沢なお菓子であった。しかし、これは実際の彼女の発言ではない。ルソーの「告白」のなかにある王女が飢えている民衆を見てこう言った記述がある。実は、この王女はルイ14世の妃のスペイン王女マリ・テレーズ(1638-1683)だったというのが通説である。この逸話はマリ・アントワネットを誹謗するため革命派が捏造した噂だったのである。(Marie Antoinette)
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