ラブレーの十五分
ラブレーがフランソワ1世の使いでイタリアへ旅したときの話である。彼はパリへ戻る途中のリヨンで所持金がすっかりなくなって困っていた。そこで熟考すること15分間、一計を案じた。外国帰りの名医だという触れ込みで変装して講演会を開いた。講演会の後で、人払いをして声を潜め、「ここに効果抜群の毒薬がある。皆さんは国王が人民に苛酷な政治を強いていると思いませんか?この毒薬で国王一家を毒殺したいと思う」と言った。はたせるかな警察が踏み込んで、目論見どおりにまんまとパリまで官費で護送された。国事犯として国王の前に引き出されたラブレーは、そこで変装をとき事情を説明したので、国王はこの策略に大いに笑い、彼の機知をほめたという。
フランソワ・ラブレー(1494?-1553)は、長らく単なる滑稽物語の作者とみなされていたが、19世紀後半以降の研究によって、彼は典型的なユマニストのひとりとしてフランス文学史に確立されるようになった。トゥレーヌ州シノンに生まれ、はじめ修道院にはいったが、このころから向学心が強く、ギリシア語を学び、古典研究にいそしんだ。やがて在家僧として各地の大学を遍歴し、1530年には南フランスのモンペリエの医科大学で得業士の資格を得、古典医学書の校訂翻刻本数種を刊行した後、1532年リヨン市立病院付医師となった。イタリアにも三たび旅行した彼は、真のルネサンス人として到るところで学び、多くの知識を身につけた。その豊かな体験と知識と、思想とをちりばめて成ったのが「ガルガンチュワとパンタグリュエル物語 全5巻」である。当時流行した作者不詳の中世伝説「巨人ガルガンチュワ大年代記」に想を得て、まず「パンタグリュエル」を出版し、その売れ行きに乗じて「ガルガンチュワ」をつくり、「パンタグリュエル」の続編3冊(1546-1564)を書きついだ。これらの作品に対してソルボンヌの神学部の弾圧は巻を追ってきびしさを加え、ラブレーは一時ドイツ領に亡命したこともある。彼の晩年の消息は明らかでないという。
「世界文学」カテゴリの記事
- 繃帯を巻いたアポリネール(2023.04.09)
- アレオパジティカ(2023.06.01)
- ワシリ―・アクショーノフ(2023.02.05)
- 青ひげ物語(2023.02.04)
- マーティン・マルプレレット論争(2018.11.02)
コメント