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2014年7月13日 (日)

マラー民衆の英雄、あるいは独裁者?

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 J・ボズ「マラー」 カルナヴァレ美術館蔵

    歴史的評価が別かれる人物は数多い。たとえば足利尊氏、徳川慶喜、西郷隆盛などは複雑な行動をするタイプでなかなかわかりずらい。フランス革命の指導者ジャン・ポール・マラーは暗殺されたことで知られるが、悪魔とののしられるか、神のごとき英雄とたたえられるか、両極端で今日でも歴史的評価は定まらない。マラーはもっと評価されてもよい人物ではないだろうか。

    1789年に革命が勃発すると、マラーは政治記者となり、「人民の友」という日刊紙を創刊した。この新聞記事の辛辣な批評(というよりも暴力的な主張をしている)のため、マラーは王党派から常に暗殺の危機を感じ、イギリスへ逃亡することもしばしばだった。ルイ16世一家の国外逃亡失敗ののち、マラーは自分を臨時政府の独裁者に推挙するよう、またルイ16世を処刑するよう民衆に訴えた。国王の処刑後は、ジロンド派と意見を異とするようになって、マラーは1793年、その恐怖政治によって国家反逆罪で訴えられるが、裁判所は彼を「勇敢な人権の擁護者」とたたえて無罪とした。マラーはつねに大衆には人気があった。マラーは財産もすべて他人にやって、自分の人生の先があまり長くないことを予知しているような人物だった。1793年7月13日。マラーはパリのコルドルエール街のアパートに住んでいた。午後7時ごろ、皮膚病を治療するため風呂につかっていた。ジロンド派支持の若い娘シャルロット・コルデーはマラーを人民の敵と思い込み、包丁でマラーを刺殺した。ほぼ即死の状態だった。マラーは殉教者として盛大な葬儀がいとなまれ、シャルロットは断頭台の露と消えた。マラーの手元に残った現金は僅かに25スーだったという(スーは銅貨で25スーは労働者の日当程度か)。マラーは悪逆非道の人物だったのか、民衆の革命児か、実像はどっちなのだろうか。

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