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2014年7月23日 (水)

人の光を藉りて我光を増さんと欲する勿れ

Photo   森鷗外の「人の長」(時事新報連載「智慧袋」)に見える名言。鷗外といえば今夜放送のBSプレミアムドラマ「孫のナマエ」が面白そうである。伊武雅刀が演ずる鷗外が孫の名前を決めるにあたって引き起こされる珍騒動を題材にしている。

   この一句は「人の長を以て我長を継がんと欲する勿れ。人の光を藉(か)りて我光を増さんと欲する勿れ。日の光を藉りて照る大いなる月たらんよりは、自ら光を放つ小き燈火(ともしび)たれ。これ鶏口牛後の説の骨髄なり」とある。鶏口牛後とは、今の言葉でいえば、大きな団体で人のしりについているよりも、小さな団体ながらその首領になっているほうがましだと自主独立の気概をうながしたものである。これと反対に「寄らば大樹の蔭」というのがある。人は常に自由をもとめてやまないが、そのくせ僅かな虚栄や物欲のために、ともすればおのれの信念をまげて強大なものに追従したり、あるいは他の権威などにすがって己を大きく見せようとふるまったりする。立候補の議員の立会演説会に政党幹部が応援に賭けるつける光景などまさしく既成の権威を振りかざしたものであろう。しかし月はいくら大きくとも自ら輝くものではない。自ら光を発せぬ星は死せる星である。これに反して燈火はいくら小さくとも自ら闇夜を照らし、しかも一本の蝋燭はよく千本の蝋燭にも火を点じることすらできる。してみれば、われわれの生けるしるしは、たとえ小さくとも自ら信ずるところを守って独自の光を放つ燈火になることにあって、人の光を藉りて照りかがやいたり、人の肩車に乗って高きを誇ろうなどと考えるべきではない。肩車に乗った小人は所詮小人にすぎない。まして親の光を背負うて得々としたり、虎の威をかりる狐であったりしたのでは、自らいやしめるも甚だしいというべきである。

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コメント

( ̄ー+ ̄)さすが森鷗外ですね。
名言、格言は判っていながらも人は安きにつきがちです。

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