ルネサンスはなぜイタリアに生まれたのか?
ルネサンス。なんとも響きのよい言葉だ。ルネサンスの文化は、まずイタリアに起こった。中世のイタリアはヨーロッパと異なり、あまり封建制度も強化していず、11世紀から早くも農奴が解放され、封建領主に対抗して自由都市が生まれた。ことに十字軍の輸送路にあたり東方貿易の中継地として、海港都市のベニス、ジェノアが栄え、内陸都市のフィレンツェは織物工業や教皇庁と結んだ金融業で栄えた。
そこで、早くからイスラムや東ローマとの交渉を通じて、ギリシア・ラテンの古典が大量に輸入された。古代ローマの発祥地であるイタリアは、偉大な古代へのあこがれがつよく、中世を通じて古典文明の伝統が残っていた。
しかもイタリアは、古代ギリシアのように都市が対立し、互いに繁栄を競っていた。これらの専制君主や教皇などは、互いに新しい文化の保護奨励を競った。イタリアのルネサンスは、このようにして、14・15世紀にまずイタリア最大の商業都市フィレンツェを中心として起こった。庶民出身の大銀行家・メディチ家の支配の下に、都市国家的な民主制度が発達して、一時に学者や芸術家が輩出して、15世紀後半はイタリアのルネサンスの一大中心地となった。16世紀になると、フィレンツェは衰え、文化の中心はローマに移った。ルネサンスは、いく人かの芸術的な天才たちが作ったものではなく、都市に集まった人と物とが交流し、せめぎあっているうちに、おのずと形ができあがっていったものである。物と物が出会うところには商業が栄える。ルネサンスは商業の発展が生んだといえる。
この文化興隆現象にルネサンス(再生)という言葉を初めて適用したのはジュール・ミシュレ(1798~1874)の「フランス史」(1855)であった。そして1860年にブルクハルト(1818-1897)が『イタリア・ルネサンスの文化』を出版し、古代文化の再生による人間と世界との再発見の時代と定着して以来、世界各国の関心は急速に高まり、それとともにルネサンスという言葉にも、古代復興・近代の誕生というイメージが定着した。
同じイメージは、しかしすでにルネサンスの同時代人にも見られるものである。レオナルド・ブルーニ(1369~1444)は、700年もの間、古典が埋もれ続けてきたことを嘆き、これを闇の中から再び光の中に呼び起こした人として、ペトラルカの名をあげ、古代文化のリナシタ(再生)をたたえた。15世紀のマッテオ・パルミエール(1406-1475)も今日使われているのとまったく同じ意味で用いている。( Jacob Burckhardt,Jules Michelet,Leonardo Bruni,Fracesco Petrarca,Renaissance )
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