後水尾天皇と紫衣事件
紫衣とは、紫色の法衣や袈裟をいい、古くから高徳の僧が朝廷から賜った。幕府は禁中公家諸法度で、朝廷がみだりに紫衣や上人号を授けることを禁じた。だが後水尾天皇は幕府に諮らず十数人の僧侶に紫衣着用の勅許を与えた。幕府は、1627年大徳寺、妙心寺などの僧の勅許状の無効を宣言し、紫衣を取り上げた。1629年7月25日、沢庵を出羽国上山に、大徳寺住持宗珀を陸奥国棚倉に、前妙心寺住持単伝を陸奥国由利に、同東源を陸奥津軽へ配流した。この事件によって面目を丸潰れにされた後水尾天皇は憤激して、にわかに明正天皇に位を譲り、院政を行なった。院政期間は霊元天皇の代まで51年の長きに及んでいる。後水尾天皇は学問(有職・和歌・連歌・詩・儒学など)や芸術に関心が深く、多くの御製や「当時年中行事」をはじめ多くの宮中行事関係などの著作を残した。日本屈指の名庭園、修学院離宮を造営した。
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