消えたフエキ糊の謎
フエキ糊(不易糊工業株式会社)という黄色い容器に入った糊がある。明治19年5月に大阪の足立商店(不易糊工業株式会社の前身)が発売した新発明の腐らない澱粉糊のことである。かつて広辞苑には「不易糊」として掲載されていた。広辞苑第2版の解説では、「硼酸またはサリチル酸のような防腐剤と香料とを入れて長く保存できるようにした糊」とある。ところが商品名という理由で、第6版では「不易糊」の項目が削除されている。
このほか広辞苑に掲載されている商品名には、サクラの「クレパス」(第1版から)、寺西化学の「マジックインキ」(第2版)、「セメダイン」(第2版補訂版)などは、いまでも第6版に掲載されている。
新たに追加された商標名としては、「コカ・コーラ」は第4版には無かったが第6版では掲載されている。ちなみに「ペプシ・コーラ」は掲載されていない。岩波書店の社員はコカ・コーラが好きなのだろうか。
アラビック・ヤマトのような新種の糊も発売されているが、ケペルは昔ながらのフエキ糊を指先につけてベタベタ貼るのが好きで今でも愛用しているし、ペプシ・コーラもよく飲む。広辞苑の採用基準はやはり謎である。
糊の発生時期は不明であるが、御伽話の「舌切り雀」に登場してくるくらい古くから使われていた。国内では、古来から膠(にかわ)や漆(うるし)などの粘着性のあるものが使われていたが、江戸時代中期に澱粉質を原料として「姫糊」が普及した。明治中期頃までは、この姫糊が多くの用途に使われていた。当時の姫糊は腐りやすく買い置きができなかった。そこで、腐らない固体糊の開発を行ったのが東京の木内弥吉(現ヤマト)のヤマト糊と大阪の足立市兵衛(現不易糊工業)の不易糊だった。不易糊は1896年、ヤマト糊は1899年にそれぞれ腐らない糊を発売している。液体糊は明治40年頃、イギリスからステペンスの瓶入りゴム糊が輸入される。大正8年に国産の液体糊が開発された。この液体糊が普及した背景には、大正12年の関東大震災の後、物資不足から切手の裏面に糊の塗っていない切手が発行され、液体糊が家庭や事務所で注目、愛用されるようになった。澱粉糊の販売数は減ったものの、幼稚園ではよく使われているそうである。
« 三角定規に丸い穴が開いている理由は? | トップページ | 老人の小言 »
「ことば」カテゴリの記事
- 四万十川の謎(2023.01.24)
- 「怒る時のコラってなに?」雑学365日(2022.12.24)
- 「胸キュン」雑学365日(2022.12.22)
- 気づけば今年もあとわずかとなった(2022.12.16)
- 窮すれば通ず(2022.09.04)
フエキ糊、懐かしい!
投稿: | 2014年3月18日 (火) 15時37分