おしんの子守唄
昭和58年度に1年間にわたって放送されたNHK連続テレビ小説「おしん」は最高視聴率62.9%という最大のヒット作となった。いわゆる「おしん」ブームは「おしんドローム」「大根めし」「おしん横綱」などの流行語を生み出し、この人気は世界にまで広がった。
「おしん」ヒツトの最大の原因は、なんといっても、おしんの少女時代であろう。NHKには連日100件以上もの反響が寄せられた。「7人兄弟の長女として生れた私は、口減らしのために奉公に出された」「冬の冷たい川でおしめ洗いをしたのを思い出した」など、全国の主として農村出身の女性たちの追憶と共感の涙をさそったのである。
おしんのような子守とは切り離せないのが「ねんねん半纏」である。ねんねこ半纏は木綿布や木綿綿が出回るようになった江戸時代後期になって登場した。はじめはもっぱら江戸で用いられた。ねんねことは赤ん坊のことである。7、8歳の少女が、一日中赤ん坊を背中にくくりつけられながら、そのうえ掃除、水汲み、風呂焚き、少し大きくなれば、洗濯から炊事と、こき使われたのである。まだ身体が出来ていない少女にとっては、重かった。子守奉公者の数は、農民層の階級分化が激化する明治以降、とりわけ多くなった。地租改正によって、農地の私有権が法認され、金納地租になったことが、農村を一気に弱肉強食の貨幣経済の波に巻き込んだのである。換金作物に乏しく、度々の凶作に見舞われる東北地方や山陰地方では、農村の疲弊がひどく、女の子も7、8歳になれば女中や子守に出されたのはいうまでもなく、酌婦や芸妓に売られる例も多かった。かくして、多くのおしんが、ねんねこ半纏で赤子を負い、泣きながら子守唄を歌うことになったのである。
おしんを演じた小林綾子も結婚、離婚を経てすでに40歳を過ぎた。同年、「がんばれ!玄さん」のコマーシャルで人気者になった間下このみは難病を乗り越えて第1子を出産した。(参考文献:小泉和子「道具が語る生活史」「週刊朝日百科81」)
« アルフィーアス・ハーディー | トップページ | 人を呪わば穴二つ »
現在放送中の「花子とアン」でも、花子の実家があまりにも貧しい家、つぎはぎだらけの家族の着ているもの、汚れで黒い顔などが、「いくら貧しいとはいえ、大げさ過ぎる描写ではないか」という投稿が新聞に寄せられたところ、「花子の時代どころか、1945年の終戦を過ぎてしばらくしても故郷の村は、あのような状態と変わりない暮らしの家が多かった。今のモノが溢れる豊かな生活しか知らない世代は想像もつかないのではないか」という反論の投稿が多く来たそうです。
投稿: | 2014年6月16日 (月) 13時05分