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2014年6月 2日 (月)

未知の女の手紙

   オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイク(1881-1942)は一般に伝記作家として知られているが、短編小説「未知の女の手紙」(1921年頃執筆されたらしい。翌年「アモク」という単行本に収録)は不思議な魅力のある恋愛小説として現在まで読み継がれている。「未知の女からの手紙」「見知らぬ女よりの手紙」などと和訳されることもある。これまでに内垣啓一、前田敬作などの邦訳がある。また「忘れじの面影」(1948)「見知らぬ女からの手紙」(2004)という題名で二度映画化されている。

                 *

  坊やが昨日亡くなりました。もう、この世で頼りになる方はあなただけです。私のことは何ひとつご存じないあなた、私のことは一向に知って下さろうとしなかったあなたを、ただひたすらに愛しつづけてきたわたしでした。亡くなった子供とたった二人で過ごすこの夜、心のありつたけを書きつづらずにはいられません。そのひとはあなた以外にはありません。あなたはわたしのすべてなのですから。もし、この手紙があなたのお手もとに渡ります日がありましたら、ひとりの女が、一生の出来事を話していったとお思い下さい。もう何も望みはいたしません。どうか、すべてを信じて下さるようにお願いだけします。たったひとりの子供に死なれたときに、どうして嘘や偽りがいえるものでしょうか。

   私の生涯はあなたを知ったその日からはじまりました。あなたが同じアパートに越して来られたとき、私はまだ十三歳の少女でした。あなたがこの手紙をあ受けとりになった、そのアパートです。私どもは、あなたの御部屋と向きあった部屋でした。母は貧しい会計士の未亡人で、私はまだやせこけた子供でした。それはもう十五、六年も前の遠い昔話になってしまいました。あなたはすっかりお忘れになったことと存じますが、私はどんな小さなことでも、まるで今日のお話のようにひとつひとつおぼえております。私の世界が本当にひらけてきたのは、それからのことでした。あなたへの好奇心は、ある日の午後、家の前に止まった荷車を見たときに萌やしはじめたのです。運ばれる荷物のどれもが私のまだ見たことのないような珍しいものばかりでした。

   その翌日、あなたが引越していらっしゃいました。でも、私の苦心にもかかわらずあなたにはお目もじすることはできませんでした。やっと三日目、薄い茶色のとてもすてきな運動着で階段を二段ずつかけあがっていらっしゃる姿を拝見したのでした。何という若々しさ、そして優しさ。私はあなたに魔法にかけられたようにひきつけられたのです。説明しようもないような力に私は押されて、あなたのために車の扉をあけようとしました。あなたは優しい眼差しで私を御覧になり、にっこりと笑って、「ありがとう、お嬢さんと仰言ったのでした。

   このとき以来、あなたは私の憧れのおかたでした。あなたが、たとえ、私のことをどうお考えになろうと、私にとってはすべてでした。全生活でした。私はこの世であなたに関係のあることにだけ意味があるように思われました。急に本を読みだし、学校で一番になりましたのもあなたが読書家だったからです。ピアノの練習をしたいと母にせがんだのも、あなたが音楽がお好きなことを知ったからです。服の手入れをし縫物をしたのも、つぎのあたった古い通学服をあなたが御覧になって蔑すまれはしないかと、そればかりが気になったからでした。でも、あなたはほとんど目にかけて下さったことはありませんでした。私にとって、あなたのことで何ひとつわからないというものはありませんでした。あなたのお友達のことさえよく存じております。こうして私の十三から十六のときまでが過ぎてゆきました。

   それは日曜日のことだったと憶えております。あなたは旅に出てお留守でした。人のよいあのヨハン爺さんが、あなたの部屋の絨緞を重そうに入口のところに運んでおりました。私は憑かれたようにヨハンのところにいって、お手伝いしましょうかと訊きました。そして、私はあなたの居間のなかにはじめてはいり、あなたのお坐りになる机や本を見ました。ほんの一瞥にすぎませんでしたが、私の夢の大きな糧となりました。この儚ない瞬間は、少女時代の私の一番幸福なときだったと申してもよいでしょう。そして、このときとほとんど同じ頃、私にとって一番情けない出来事が起こったのです。

   私はあなたのことばかり考えていましたので、母の日常に何の関心も払っておりませんでした。ですから、母の遠縁にあたるインスブルックで商人をしている中年の紳士が時折たずねてきてはしばらく滞在しているようになりましたことも、一向気にとめもしなかったのでした。そして間もなく、私は母と共にインスブルックに移らねばならなくなったのです。私は頑なまでに引越しには反対しましたが、毎日、学校から帰る度に荷物がつくられており、部屋のなかは次第にがらん洞になってまいりました。明日はインスブルックに発つという最後の日です。母は折りよく留守でした。私は、あなた以外に私を救って下さる人はいないと決心いたしました。私はあの夜、氷のように冷たい廊下に立って、心配で凍りつきそうになりながら、とうとうあなたのお部屋の呼鈴の釦をおろしました。あなたのお姿はもちろん誰もみえませんでした。ヨハンも留守だったのです。私は玄関の間にこっそりぬけ出て、一晩中あなたをお待ちしておりました。私は疲れ、隙間風邪の吹き込む冷たい床に横になったまま、あなたの足音を聞きのがすまいと懸命になっておりました。それは一時か二時だったと思います。門が開き、階段をのぼる足音が聞えてまいりました。私は思わず扉をあけてあなたの方に走りよろうと思いました。でも、あなたはおひとりではなかった。くすくすと忍び笑いの声、衣ずれの音に、あなたの低い声が聞えてまいりました。あなたはどこかの御婦人と御一緒に帰られたのです。その夜を死なずに過ごせたのはどういうわけなのか、私にはおぼえが御座いません。翌朝の八時に、私はインスブルックに連れられてゆきました。もう逆らう力とてありませんでした。

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