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2014年6月 2日 (月)

信長が愛した女たちのそれから

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00df82ea049b4f119b2b31a20dc32fc1    1582年のこの日、本能寺の変により織田信長は自害した。信長の正室濃姫(帰蝶1535-1612)や側室たちの多くは変時には安土城に居たと思われる。濃姫の消息は明らかでなく、22歳で没したとも78歳まで存命したともいわれる。信長の母・報春院とともに安土殿とよばれていたのが濃姫と推定すれば、織田家の過去帳にある「養華院殿要津妙玄大姉」慶長17年7月9日で逝去したこととなる。

    正室濃姫には子がないため、側室の生駒吉乃(1528-1566)が信忠、信勝、徳姫を産んだ。つまり実質には吉乃が正室に近い扱いを受けていたが、変のときにはすでに亡くなっている。7男信高の生母、お鍋(興雲院)は、変後すぐに、岐阜の崇福寺に保護を加え、信長の菩提を弔った。秀吉からも敬意を払われ北の政所に仕えた。秀吉没後も500石が安堵されたが、関ヶ原合戦で息子の信吉(8男)が西軍に与したため、知行を失った。のち秀頼、北の政所からも知行を与えられ、晩年は京都で過ごしたと伝わる。「平家物語」の書写を公家に依頼するなど教養ある婦人だった。

   信長の末子、長次(1574-1582)の生母の名前は不詳である。長次は関ヶ原の戦いで戦死した。(6月2日)

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