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2014年5月15日 (木)

ゲーテとベートーベン

Beethoven014

    ゲーテ(1749-1832)はベートーベン(1770-1827)やシューベルト(1797-1828)が作曲した歌曲を聴いて「まるで自分の子供が他人の衣装を着せられたのを見るようだ」と言っている。ベートーベンはゲーテの詩に「五月の歌」をはじめ数曲の作品を残している。ベートーベンはなかなかの読書家であり、死後、彼の部屋には約300冊の本があり、文学、哲学、宗教が中心であった。その中には、シェークスピア、カント、そしてゲーテの本もあった。 

    ゲーテはベートーベンのことを「その才能には驚くほかないが、残念なことに傍若無人な人柄だ」と話している。ゲーテとベートーベン、2人は1812年に出会っている。63歳のゲーテが41歳のベートーベンを訪ねてきた。場所は保養地テブリチェの森。二人は散歩しながら、会話していたが、この頃すでに耳疾のきざしをみせていたベートーベンは大声で話していたようだ。そのとき、向こうからハプスブルグ家のルドルフ大公の一行と遭遇した。ゲーテは、脱帽して、恭しく一行の通り過ぎるのを待ったが、ベートーベンは貴族たちを無視した。ケーテはベートーベンの非礼を咎めると、彼は肩をすくめて「皇太子は世界に何人もいるが、ベートーベンはただ一人だ」といった。ゲーテはこの言葉にあきれて、以来、絶交したといわれる。 

    ベートーベンが亡くなると、その演奏の困難性などの理由からベートーベンは早くも忘れられた存在になりつつあった。ところが12歳のフェーリクス・メンデルスゾーン(1809-1847)が師匠のカール・フリードリヒ・ツェルター(1758-1832)の紹介でワイマールのゲーテ邸に2週間ほど滞在することがあった。72歳のゲーテは12歳の少年メンデルスゾーンの才能を気に入り二人の交流がはじまった。メンデルスゾーンもゲーテを尊敬し、ゲーテの詩から序曲「最初のワルプルギスの夜」を作曲している。またメンデルスゾーンはベートーベンの作品もこよなく愛してしたので、老ゲーテにベートーベンの曲をきくことを奨めた。メンデルスゾーンはゲーテがベートーベンを誤解したまま、この世を去るとしたら、とても不幸なことだとおもったのだろうか。彼はピアノでベートーベンの「運命」をひき始めた。この世ではついに理解しあうことの無かったゲーテとベートーベン、偉大な芸術家のためにメンデルスゾーンは心をこめて弾いた。ゲーテは耳を傾けていたが、そのうち彼の目は、じーっと部屋の一点をみつめたままになった。「ゲーテにも、とうとうベートーベンの良さがわかったのかな」とメンデルスゾーンは思ったが、彼が弾き終わって立ちあがったとき、開口一番はこうだった。 

「ぶったまげた曲だ。じつにぶったまげた曲だ。なんてひどいんだ。この曲はただ人を驚かすだけだ。いまにも家が崩れ、屋根が落ちてきそうな曲だ。もし、これをオーケストラで演奏していたら、いったいどんなことになったろう」 

   食事のときも、ゲーテは盛んにそのことを思い出してため息をついたが、最後まで彼の口からは、ベートーベンへのほめ言葉は聞かれなかった。 

   これまでゲーテとベートーベンの二人の関係は、このようなエピソードで示されるように不仲説が伝えられていたが、近年の研究では、二人はその芸術性を理解していたとする新見解もでているようである。(参考:桐生操「あぶない世界史3」福武文庫)

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とても興味深い内容です。

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