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2014年5月11日 (日)

大津事件2人の車夫のその後

    忠臣蔵で松の廊下、浅野内匠頭を羽交い絞めにして刃傷をとめたため世間から一生非難され続けた不運な男、梶川与惣兵衛がいた。大津事件の向畑治三郎と北駕市市太郎も梶川と同じような運命をたどった。

   1891年5月11日、ロシア皇太子ニコライが大津で警官・津田三蔵に斬りつけられた。この事件で重傷を負った皇太子を助けた2人の人力車の車夫は国民的英雄となった。ロシアからは一時金2500円と終身年金1000円が贈られた。日本政府からも勲章と年金36円というご褒美が与えられ、大金持ちになった。だが、1904年、日露戦争が始まると状況は一変した。敵国のロシア皇帝が、かつて彼らが助けたロシア皇太子だったからである。もちろんロシア側から支給されていた年金も取り消された。2人は世間の羨望と妬みの対象となった。向畑は博打と女などの遊興に明け暮れ金を浪費した。70歳を過ぎると少女暴行事件で勲位も剥奪され、1928年74歳で死去した。独身だった北駕市には妻になりたいという女性が殺到した。彼は車夫をやめて郷里の加賀市で、田畑を買い堅実に暮らした。しかし日露戦争が始まると世間から「露探」と呼ばれ白い眼で見られた。堪りかねた北駕市は「そんなに露探というなら俺を兵隊にとってくれ、そうでないことを戦場で証明してやる」と言った。1914年54歳で死去。

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