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2014年5月30日 (金)

国木田独歩の出生の秘密

Ip120227tan000018000_0000_mobj   国木田独歩(1871-1908)。7月15日(新暦8月30日)、千葉県銚子の母の生家で生れる。父専八、母(淡路)まん。幼名は亀吉、明治22年7月、哲夫と改む。明治30年以後は主として独歩を筆名とする。独歩の出生については異説が多い。

    通説によると、独歩の父親は、播州龍野藩の脇坂氏の家臣で国木田専八という人物とされている。専八は、明治4年に函館の五稜郭に立籠った榎本武揚討伐に仕立てた船の乗組員であり、その船が銚子沖で暴風雨にあった。助けられて銚子の吉野屋という宿屋に滞在中、そこで働いていた淡路善太郎の長女まんという女と知り合い、明治4年に独歩を生んだということになっている。

    ところが、まんはこれより先に雅治郎という米穀商と結婚していたが、事情があって別れ(他に死亡説あり)、同旅館に奉公中であった。しかし一説によると専八とまんが出会った時にはすでに子供を連れていたという。専八が銚子に着いたのは明治4年ではなくて、早くても明治5年以後だろう。旧戸籍では以上の事情を反映して、亀吉が雅治郎の子であり、まんが亀吉を連れて専八に嫁したと記載されている。この戸籍面を信ずる限り、独歩が専八の実子でないとする説が生まれるが、戸籍以外の事実から判断すると、独歩を専八とまんの実子とするのが妥当である。なお出生年月にもいくつか異説がある。当時専八には故郷の竜野霞城町に妻とく、他三男があった。明治7年には、専八は母の死を契機に先妻とくを離別し、まん、亀吉と共に上京している。東京下谷徒士町脇坂旧藩邸内に別に一家を構えた。明治8年8月7日より司法所省に出仕していた専八は、明治9年3月22日、山口県山口裁判所に奉職のため、一家同地に転任。5月31日、専八は妻とくと正式に離婚、倉太郎、弁太郎、のぶとも事実上絶縁した。

   独歩は山口の小学校時代(錦見小学校)時代に出生の秘密を明らかにされて、しばしば、はっきりと「おまえは徹底的に隠し通せ」と言われたという。独歩は自分の出生の秘密を誰にもあかさなかったが、「運命論者」にはそのまま、養父が「出生の秘密を明らかにするな」と云ったことが中心になっている。独歩の全作品を通じて「孤児」を扱ったものが多いが、孤児という言葉自体も多い。また直接孤児を扱っていないにしても、何か孤独な、生れ故郷も肉親もないところからくる人生の哀感が全体にしみついている。それは、たえず自分の出生に思いをこらしていた、孤児の感慨に襲われていた独歩の深層心理と考えると非常にはっきりしてくるのではないだろうか。

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「日本文学」カテゴリの記事

コメント

国木田独歩の作品には、常人ではない物の怪てきなものを感じるのは、出生の秘密によるものか・・・?

国木田独歩の文学は、彼の出生の秘密と背中合わせであったという立場は、研究科の間では、あまり大きなこととして重要視されてこなかったように思いますが、川端康成や芥川龍之介のばあいほどには、という意味ではありますが・・・。(* ̄ー ̄*)

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