センスって何?
センスという言葉は、よく使われるわりに、定義があいまいである。何がセンスが良くて、何がセンスが悪いのか、時代とともに変わるだろうし、個人、個人によっても感じ方が異なるであろう。
東京大学の池谷裕二准教授が雑誌にわかりやすい解説をしている。上の画像の絵に並んだ数字の、四角の部分に何が入ると思いますか、というテストをする。ほとんどの人は「8」と答える。理由は「左の数字を順番に2倍していった数字の並び方だから」と説明できる。次に、下に描いたふたつの図形を、宇宙人が使う未知の文字だと想像してください。一方が「ブーバ」、一方が「キキ」と発音する文字だったとする。どちらかの文字がブーバでどちらがキキでしょうか。ほとんどの人は、左のギザギザの方を「キキ」、右の曲線を「ブーバ」と答えるそうだ。その理由は「なんとなく」としか説明できないが、このテストは世界中どこでも、同じ結果がでるそうだ。これはドイツの心理学者・ヴォルフガング・ケーラーが言語音と図形の印象との連想について報告されたものに基づいている。つまりセンスとは、言葉で説明できない「直感」である。そして直感=センスは訓練によって磨かれる。運動のセンス、美的センス、会話のセンス、すべて同じである。
しかし、磨かれた現代的なセンスは、ともすれば単純でマンネリ感をともなうものである。ヨーロッパの芸術でも古典主義に対してバロックが生れたし、日本でも室町時代に婆娑羅が現われた。1960年代にはサイケデリックが流行した。つまり芭蕉の言う「不易流行」というのは「不易」と「流行」という正反対のもであるが、根元においては一に帰すべきもの、という風雅の心得であろう。
なぜこのようなことを問題にするかというと、店のイメージとして、品のよい、センスのよい店というのは、お客にとっても心地よいものであろうが、あまり整然としていると何か希薄感、空虚感があって、かえって落ち着かない、という。どこか雑然とした感じはあるが、ゴミゴミした猥雑な感じはなく、掘り出し物や未知の発見があると感じ、古色蒼然とした中に落ち着いた品のよさがでる、そのような知的空間を創出するのが夢である。(参考文献:「リアルシンプル2008.11」)
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