実篤のトルストイ信奉と離反
映画「終着駅トルストイ最後の旅」(2009)を観る。20世紀初頭、ロシア文藝思潮は世界的な影響を与え、とりわけトルストイはわが国にも絶大なる影響を及ぼした。武者小路実篤は学習院在学中にトルストイに傾倒して仲間とサークル活動をした。1908年4月最初の本「荒野」(警醒社)を自費出版したが、その中に収録された諸作品にはトルストイの影響が色濃く現れていた。東大を中退し、十四日会をつくり、毎月創作を批評しあった。1910年に「白樺」を創刊。その思想の実践においては、宮崎県木城町に1918年「新しき村」を開村している。ただし実篤は1924年に離村し、村に居住せずに会費のみを納める村外会員となったため、実際に村民となったのはわずか6年である。やがて実篤の作品からはトルストイの影響は消えていく。次第に自我欲が高まるとともにトルストイを窮屈なものに感じ、自己の個性を第一にすべきであるとのエゴイズムを前面に押し出していく。1936年欧州旅行を契機として、実篤は戦争支持者になってゆく。トルストイの平和思想と離別し、戦争賛成の立場をとった。そのため戦後は公職追放とされた。
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