牧野の戦いとモーセ出エジプトの年代学
周の武王が殷の紂王を破り、周王朝が天下を治めることになった牧野の戦いの西暦年代には諸説ある。①前1122年②前1111年(董作賓「殷暦譜」)③前1066年(新庄新蔵)④前1050年(水野清一「殷周文化の進展」)⑤前1046年(周武王11年)⑥前1027年(陳夢家「殷墟卜辞綜述」)などが主な説である。①から⑥までおよそ100年の誤差がある。⑤説を採る学者が多いが定説はない。中国古代史で確定している実年代は、2つある。1つ目は、周公・召公の2人が統治した年を共和元年といい、前841年のことである。2つ目は、犬戎が周に侵攻し、鎬京が陥落し、幽王が殺された前771年である。
モーセに率いられたイスラエル民族がエジプトを脱出した西暦年代も諸説があり確定していない。キリスト教史家の間には、ラムセス2世を「出エジプト記」に登場するユダヤ人を奴隷から解放するようにモーセが要求したファラオとする説が有力である。ラムセス2世の在位期間も①前1290-前1224②前1279-前1212③前1279-前1212、と諸説ある。モーセの出エジプトを前1280年とする説と前1230年とする説がある。さらにラムセス2世の在位期間が異常に長いが、次代のファラオ、メルエンプタハ(在位前1213-前1203)の治世に出エジプトがあったとする説もある。
つまり世界史で紀元前13世紀から紀元前9世紀までは、事件の年代を確定するまでにはいたっていない。ローマ建国を紀元前753年としているが、これも便宜的なもので、近年のウェッレイウス・パテルクルスの説によると紀元前745年としている。後代になればなるほど誤差の小さくなっている。(Rameses,Merenptsh)
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