香川綾と実践栄養学
毎日健康な生活を送り元気な体を保持するためには、運動・休養・栄養バランスのとれた食事が大きな三本柱である。しかしバランスのとれた食事といっても、日常生活で細かな栄養計算をして食事を用意することはとても難しいことである。そこで食品を大きく4グループに分け、各栄養素の目安量を簡単につかめるように考案されたのが香川綾の「四群点数法」である。第一群は乳・乳製品、卵、第ニ群は魚介類、肉類、大豆・大豆製品、第三群は野菜、芋類、くだもの、第四群は穀物(ごはん・パン)、砂糖、油脂。1日の食事の適正量は成人女性では20点(1600kcal)を目安としている。
横巻綾(1899-1997、後の香川綾)は、明治32年3月28日、和歌山県元宮村で、父・横巻一茂、母・のぶ枝の間に生まれた。母の父は維新前に紀州藩の食膳係をしていたので、食生活の大切さを家風として伝えられていた。その母を若くして病気で亡くした綾は医者になる決意をする。大正3年、和歌山県立師範学校女子部に入学し、卒業後、小学校の教師をしていたが、大正10年に上京。東京女子医学専門学校に入学し、吉岡弥生(1871-1959)との出会いもあった。昭和5年にはビタミンと脚気の研究をしていた香川昇三(1895-1945)と結婚する。綾は昭和3年に「主食は胚芽米、おかずは魚1・豆1・野菜4」を提唱する。その後いろいろ研究を重ねて昭和45年「四群点数法」を完成した。また教育機関として、昭和8年に家庭食養研究会を設立し、昭和10年5月に「栄養と料理」を創刊し、昭和12年に女子栄養学園を設立。その後、学校は財団法人香川栄養学園、女子栄養短期大学、女子栄養大学と発展する。
香川綾の紹介で「計量カップ・計量スプーンの考案者」という記述をよくみかけるが、これは正しくない。戦後いちはやくメートル法に準拠して計量を普及させた功績はあるものの、こうした計量器具が考案されたのは明治半ば頃である。日本初の料理学校の創設者である赤堀峰吉(1816-1904)によるものである。
料理と栄養と健康を結びつけた実践栄養学の基礎を築いた香川綾の功績は、いわば日本版チャングムのように偉大なるものであり、晩年も早朝ジョギングを欠かさず、身をもって実践栄養学の成果を示し、平成9年4月2日に永眠した。98歳の生涯であった。
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はじめまして
投稿: メディカルテクニカ | 2007年3月15日 (木) 06時29分
ブルーツースによる無線式、パソコン式 12誘導心電計
名古屋市の医療機器専門販売会社 グッドケア社( 052-322-0627)から、
安静時及びマスターステップ及びトレッドミル等のストレステストで使用できる
パソコン式心電計が発売になりました。
メタボリックの指標のリアルタイム表示は、厚生労働省の指導路線に沿い、
今後の医学的評価が期待されるが、最先端の機能が備わっています。
投稿: パソコン式心電計 | 2007年5月 7日 (月) 09時07分
はじめまして。
記事の中に「大正十年状況」とありますが「上京」の誤りでは・・・。
又来ます。これからもよろしくお願いします。
投稿: outa | 2007年6月28日 (木) 22時45分