明治の評論家・斎藤緑雨
僕本月本日を以て目出度死去致し候間此段謹告仕り候也
これは斎藤緑雨(1867-1904)が自ら考えた死亡広告である。肺を患って転地療養をしていた緑雨は、明治37年3月頃から病状が悪化し、翌4月13日に死去した。享年38歳。その2日前、死期を悟った緑雨は馬場孤蝶を呼び、口述筆記させたのが、この広告である。死亡広告は、翌日付の「万朝報」と「朝日新聞」に掲載された。
緑雨は慶応3年、三重県鈴鹿市神戸で生まれた。少年の頃から俳句を習い、今日新聞(東京新聞の前身)に入社した。仮名垣魯文に師事。正直正太夫の筆名で、坪内逍遥、尾崎紅葉ら当時の作家を風刺した「小説八宗」で人気を得た。「初学小説心得」「小説評注問答」などで辛辣な評論家として知られる。明治24年、小説「油地獄」「かくれんぼ」などで認められたが、暮らしはそれほど楽ではなく、「筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし」という言葉を残している。筆一本で食べていくのも楽でないということか。
緑雨は樋口一葉の理解者でもあり、一葉の死後に日記の刊行に尽力する。また、一葉の妹・くに子の結婚の世話までしている。
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斉藤緑雨・・筆は一本、箸は二本、衆寡敵せずと知るべし・・・か。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月13日 (土) 02時53分