松平定常墓の亀趺
松平定常(1767-1833)は因幡国鳥取藩の支藩若桜藩の第5代藩主。小藩ながら学芸に深い造詣があり、諸大名からももその存在を知られた人物である。弘福寺(東京都墨田区)に松平定常(池田定常)の墓がある。墓石の下に亀趺(きふ)がみえる。碑文には亀趺はよくあるが墓碑にはめずらしい。亀趺とは「亀の形にきざんだ、碑の台石」(広辞苑)にある。もともと中国から朝鮮に見られるものであるが、亀は相当古くから長寿の象徴と考えられ、石碑を末永く後世に伝えるという意から発達した。亀の甲羅に石碑があるものはよく見られるが、亀の頭部がもたげるように伸び、脚も立体的に造型されている。
亀趺で最も有名なものとしては韓国の慶州市にある太宗武烈王碑の魑首と亀趺である。武烈王(603-661)は新羅29代の王で百済を滅ぼし、高句麗遠征中に没した。662年に陵碑が建てられたが、いまはその碑身は破損してなく、魑首と亀趺だけが残っている。亀の像身が3.8m、高さ0.8m、幅2.5mと唐様式の堂々とした立派な造りである。
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