材官と正卒
前漢の兵制の一班を考えるうえで、材官、騎士、軽車、楼船が記録にみえる。このなかで材官というのは、歩兵で弩の射撃訓練をうけた射手のことである。この材官は従来の説では正卒として服務すると考えられていた。大庭脩は論文「材官攷」(1951)で、材官・騎士らは特殊訓練を受けた職業軍人とみなすべきで、正卒の内に入れることに疑問を投じた。だが重近啓樹は「材官引疆」「材官蹶張」など強弩を引く能力をもつ弓の専門兵がいたことから、材官を一般的に歩兵の意と解している。(参考:大庭脩「材官攷 漢代の兵制の一般について」龍谷史壇36 1952年、重近啓樹「秦漢の兵制について 地方軍を中心として」 静岡大学人文論集36 1986年)
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