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2014年4月18日 (金)

ローマの属州スペイン

Photo_2 セゴヴィアの水道橋

   イベリア半島はカルタゴ勢力が駆逐されるとローマの支配下にはいり、ヒスパニア植民地となった。半島全体を征服するには約2世紀にわたる住民との激しい戦闘を必要としたが、後1世紀から2世紀にかけてヒスパニアのローマ化は急速に進んだ。イベリア半島は、西部のルシタニア、南部のべティカ、そして東部と北部のタラコネンシスという3つの属州に分割されていた。都市が発達し、交通路が開設され、農業・鉱山業も盛んとなった。ルシタニアにはスカルラーピス、ノルバ、エメリタ、パクス・ルリア、べティカにはメテルリヌム、コルドゥバ、イルリトゥルギス、ウクビ、アスティギー、イタリカ、トゥツキ、ヒスパリス、オノバ、ムンダ、ウルソ、ハスク、アシドー、パエロー、タラコネンシスにはフラウィオブリガ、クルニア、カエサル・アウグスタ、ケルサ、バルキーノー、タラコー、デルトーサー、ワレンティア、リビソーサ、イリキー、サラリア、カルタゴ・ノヮ、アッキーなどの諸都市がある。このようなヒスパニアの経済力の高まりを背景に、後74年、ヴェスパシアヌス帝はラテン市民権をヒスパニアの全都市に与えた。また後1世紀から2世紀にかけてヒスパニア出身のローマが皇帝となった。トラヤヌスは、現在のセビリャ近くにあったイタリカで生まれたと思われる。トラヤヌスのあとを継いだハドリアヌスもイタリカの出身だった。トラヤヌスやハドリアヌスの一族など裕福な人びとは、おもにスペイン南部の農作物を取引して富を築き、なかでもブドウ酒とオリーヴ油の輸出から莫大な収入を得た。

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