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2014年4月 5日 (土)

内村鑑三の弟子たち

  明治42年10月ごろ、第一高等学校新渡戸稲造を敬慕する一高・東大の学生卒業生24、25人が一団となって内村鑑三の門をたたき種々の人が談論風発するという柏会が始まった。主なメンバーは黒崎幸吉、塚本虎二、高木八尺、藤井武、三谷隆正、前田多門など。このなかから数多くのすぐれた無教会の指導者が輩出した。大正5年10月に柏会は解散したが、藤井武、黒崎幸吉、塚本虎二、江原万理、金沢常雄、矢内原忠雄、三谷隆正、三谷隆信、前田多門などが、エマオ会を作った。明治44年には白雨会が作られた。学生を中心とする主なメンバーは、坂田祐、南原繁、星野鉄男、鈴木錠之助、石田三治、松本実三、高谷道男、植木良佐、増地庸治郎など。 

   大正7年には東京教友会、エマオ会、白雨会が合併して柏木兄弟団が結成される。内村をはじめ82人の者が署名した。内村の晩年柏木における日曜ごとの集会は、内村は講壇に立ったが、かれを助けるために、畔上賢造と塚本虎二(1885-1973)が前座をつとめた。塚本虎二は大正12年から内村鑑三の弟子として内村の集会と「聖書之研究」の編集に全面的に協力していた。しかし、両者の「信仰と無教会問題の理解の相違」から、塚本は昭和5年1月以降内村から独立し、自分の集会をもち、「聖書知識」を創刊した。「聖書知識」は聖書の研究と無教会主義の伝道を目的にした月刊誌(太平洋戦争末期は隔月発行のこともあった)で、昭和38年6月(通巻397号)まで発行された。鰭崎潤は昭和10年、義弟の小館善四郎に伴われて太宰治と交友を結んだ。太宰は内村や塚本に関する話に関心を示したといわれる。太宰は「聖書知識」と塚本虎二(二人は面会することはなかった)から学んで、キリスト教をテーマとした小説を創作している。内村の7人の弟子といえば、畔上賢造、藤井武、三谷隆正、金沢常雄、矢内原忠雄、塚本虎二、黒崎幸吉である。因みにNHKアナウンサーの黒崎めぐみは黒崎幸吉の孫娘。このほか内村の孫弟子として豊田栄(医学博士)、伊東彊自(仙台気象台長)、松島省三(農学者)など。2007年4月24日には藤林益三(最高裁判所長官)が100歳で死去している。

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コメント

はじめて閲覧させていただきました。
無教会、黒崎幸吉について調べておりましたら、こちらのブログを見つけ、拝見させていただきました。

>因みにNHKアナウンサーの黒崎めぐみは黒崎幸吉の孫娘。

とございますが、黒崎幸吉の子のうちのどなたが、黒崎めぐみさんの親なのか、教えていただけないでしょうか。
もしくは、根拠となる本、サイトをご紹介いただけますと大変助かります。

ウィキペディアの「黒崎めぐみ」には「住友商事に勤務していた父」とあるだけで実名は公表されていません。阿部博行著「黒崎幸吉 生涯とその時代」は未見ですが、年譜などから子供の名前がわかるかもしれません。

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