幻のレイ・オズボーン艦隊
清朝末期、ヨーロッパの近代文明を導入することで軍事力の増強を図ろうとする動きがあった。1861年、中国総理衙門はイギリスから兵船を購入し艦隊を編成する計画を立てた。労崇光とロバート・ハートが商議した結果、西洋式兵船8隻の購入が決定した。依頼を受けたイギリスの総税務司ホレイシオ・ネルソン・レイ(1832-1898)と海軍大佐シェラルド・オズボーン(1822-1875)の2人の名をとってレイ・オズボーン艦隊 Lay-Osborn flotilla と呼ばれる。しかし、1863年、この艦隊の司令官並びに乗組員を中国人にするか、西洋人にするのか、あるいはレイが艦隊の指揮権を清朝におくことを認めなかったため、結局、この購入計画は白紙となった。8隻のうち、4隻はイギリスへ、残り4隻はインドのボンベイに送られる。レイは総税務司を罷免され、事件は1ヶ月で収束したが、中国の中央政府の無力さを海外に露呈することとなった。(参考:井上裕正「レイ・オズボーン艦隊事件の外交史的意義について」東洋史研究34-2 1975年)
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