人はむかし魚だった
人はそのむかし魚だった。もっとむかしはバクテリアだったが。ともかく海に棲んでいたことは間違いない。人に、背びれ、尾びれはなくなったが、魚の骨と人間の背骨はいまでも似ている。つまり、人間が両手、両足が発達する以前、節のある背骨が運動のエネルギーだった。水泳の上手な人の泳ぎは、魚みたいだ。だから人と水とは欠くことのできない重要性をもつ。母の胎内から、「羊水」とともにこの世に生まれ出る。そして臨終のときは、「死に水」を口に注ぎ入れてもらって成仏する。ガンジス川の水はヒンドゥー教徒の最も尊信するシヴァ神の足下から流れ出ているといわれ、この川の水に沐浴斎戒するとすべての罪から免れ、死者は骨をこの川に流せば極楽往生すると考えられている。キリスト教もキリスト誕生以前から水崇拝があるようで、水による清めの儀式は聖ヨハネによってバプテスマが行われた。その後、キリストによって洗礼、聖水となった。人の一生、水の如し。
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