天智天皇の母斉明天皇の墓との説がある牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)が、7世紀中ごろから8世紀初めの天皇家に特有な八角形の古墳であることがわかった。これは日本書紀に書かれた斉明天皇と娘の間人皇女の合葬墓という記述に一致する。八角形の1辺は9mで、石敷の外側の砕石の部分を含めると32mにもなる。築造時は3段重ねで、斜面は約7200個の白い石で飾られていたとみられる。
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