「炎の画家」でないゴッホ像
日本でのゴッホ受容史は白樺派で始まり、小林秀雄ゴッホの手紙の分析、民芸の三好十郎「炎の画家」的ゴッホ像が支配的である。絵そのものよりもドラマチックな人生そのものがクローズアップされることが多い。フランス人はどのようにゴッホを見ているのか。モーリス・ピアラ監督「ヴァン・ゴッホ」を観ると意外な印象を受ける。ジャック・デュトロンのゴッホはカーク・ダクラスのように情熱的な感じではない。あの「ひまわり」も出てこないし、キャバレーでダンスに興じたり、きちんと食事しているし、女性にモテるし、狂気を誇張していない、自然なゴッホである。日本人は情熱的で狂気じみた天才でないと芸術家としてみとめないところがある。佐村河内守を「現代のベートーベン」と多くの人が信じたように作品そのものではなく、付加的なものにドラマを感じてしまう。これまでの日本人がゴッホに求めたものは「佐村河内的ゴッホ」像だった。もうこれからはゴッホの絵画は純粋に作品に接して鑑賞するようにしよう。
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