無料ブログはココログ

« 学術専門書と図書館 | トップページ | ワーズワースの落書き »

2014年3月11日 (火)

学者は頑固で自説は変えない

Yoshinogari2   1986年、佐賀県の吉野ケ里発見後、邪馬台国の所在は一時期、北九州説が有力視されていた。「歴史読本」(人物往来社)や「歴史と旅」(秋田書店)などは何度も特集し、奥野正男や安本美典などが論稿を発表していた。このようなジャーナリスト的学者もいるが、榎一雄(1913-1989)や森浩一(1928-2013)のような著名な学者も北九州説にはいた。榎一雄は東洋文庫長であり、邪馬台国論争においては伊都国を起点とする「放射説」を説いた東洋史学者。森浩一は大和中心説にとらわれず、地域主義を説いた考古学者。2人とも亡くなるまで九州説を変えることはなかった。2000年代になると、放射性炭素年代測定など科学的な研究調査が進み、箸墓古墳の築造年代が3世紀中ごろの卑弥呼の時代と一致し、邪馬台国畿内説が俄然有利な状況となっている。

01300000368909126799409505761 20130809231627809mori

« 学術専門書と図書館 | トップページ | ワーズワースの落書き »

日本史」カテゴリの記事

コメント

bag Inevitably got You Way down? We Have Got The Perfect Solution

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 学術専門書と図書館 | トップページ | ワーズワースの落書き »

最近のトラックバック

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30