学者は頑固で自説は変えない
1986年、佐賀県の吉野ケ里発見後、邪馬台国の所在は一時期、北九州説が有力視されていた。「歴史読本」(人物往来社)や「歴史と旅」(秋田書店)などは何度も特集し、奥野正男や安本美典などが論稿を発表していた。このようなジャーナリスト的学者もいるが、榎一雄(1913-1989)や森浩一(1928-2013)のような著名な学者も北九州説にはいた。榎一雄は東洋文庫長であり、邪馬台国論争においては伊都国を起点とする「放射説」を説いた東洋史学者。森浩一は大和中心説にとらわれず、地域主義を説いた考古学者。2人とも亡くなるまで九州説を変えることはなかった。2000年代になると、放射性炭素年代測定など科学的な研究調査が進み、箸墓古墳の築造年代が3世紀中ごろの卑弥呼の時代と一致し、邪馬台国畿内説が俄然有利な状況となっている。
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投稿: 富士フイルム デジカメ | 2014年3月26日 (水) 03時30分