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2014年3月13日 (木)

「暢気眼鏡」の芳兵衛

   「暢気眼鏡で知られる作家尾崎一雄(1899-1983)の妻・尾崎松枝が3月13日、小田原市の病院で死去、93歳」という訃報記事を読む。「暢気眼鏡」に、新妻の芳枝が貧乏所帯のやりくりで自分の金歯を売って米を買ったので主人は「なぜそんな莫迦なことをするんだ」と怒ったという話がある。主人公の多木太一は「かつて聞いた、貧乏しきって何もかもなくなり、金歯を入質して米を買ったが、それを喰う段になり弱ったという笑い話が苦々しく憶い出された」とある。「暢気眼鏡」は昭和15年に杉狂児、轟夕起子で映画化され、芳枝の天真爛漫な明るさで人気があった。尾崎一雄は三島由紀夫との対談で「あれは映画がいろいろお手伝いしたんですよ。たいへんなお手伝いしたんですよ。映画は映画で面白いのでしょうけれど、私はあれはいちばんいやな、きらいなものですね」と語っている。 

   尾崎一雄の出世作となった「暢気眼鏡」「猫」「擬態」「芳兵衛」などの、いわゆる芳兵衛物の一連の作品が書かれたのは、昭和8、9年である。尾崎が第五回芥川賞を受賞された、芳兵衛物が主に収録されている第一創作集『暢気眼鏡』(砂子屋書房、昭和12年4月1日)の「あとがき」で、こういっている。「昭和3年から丸5年間何も書かなかったが、或る機会からまた書けるようになった」これは私生活の変化があったからであろう。尾崎松枝は金沢の人で、大正2年5月生まれ、父は山原成太郎という。尾崎一雄と新婚所帯を東京牛込馬場下町東光館にもったのは昭和6年のことで、一雄31歳、松枝18歳の時である。翌年には長女一枝も生まれ、仕事への意欲が昂揚まってきた。作家尾崎一雄の誕生には妻の存在は大きいものがある。一時大病をしたが、昭和28年に長篇『芳兵衛物語』を刊行している。作者の分身である主人公多木太一は次のように言っている。「松や銀杏のような木もある。それぞれの木が、それぞれの延び方生き方をしている。彼らは、皆、自分らしい生き方をしている。それぞれの木として、せいいっぱいの生き方をすれば、それでいいのだ。多賀直義は、きっと松なのだろう。そして俺は、やつでぐらいか」とある。尾崎一雄の戦後の再出発宣言である。(多賀直義とは志賀直哉のことである) 

   尾崎が処女作「二月の蜜蜂」を発表したのは大正14年のことであり、昭和58年に亡くなるまで、ほぼ激動の昭和期を戦前戦後にわたり文壇の中心的な位置にいた作家の支えに、芳兵衛という妻の内助の功があったことを記憶しておきたい。

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