ササン朝とローマ帝国
ササン朝(226-651)は、アルデシール1世がパルティアを倒して、クテシフォンを都に新しく開いた王朝である。アケメネス朝治下のペルシア帝国の復興をめざし、イラン民族の伝統宗教であるゾロアスター教を国教に定めて、国家の統一をはかった。シャープール1世は東方のクシャーナ朝を破ってアフガニスタンに進出し、西方ではエデッサの戦い(260)でローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜とした。その後、カッパドキアまで進んだが、パルミラの軍に敗れてユーフラテス川以東に後退した。3世紀末、パルミラの女王ゼノビアはローマと戦うが捕虜となってローマへと連行され凱旋式で市内を引き回された。ゼノビアは再婚し長く生きたともいわれるが、パルミラは破壊され廃墟となった。6世紀ホスロー1世のときササン朝は最盛期を迎えるにいたった。7世紀半ばにアラブのイスラム軍が来襲して、ニハーヴァンドの戦い(642)でイスラム軍に完敗し、ササン朝は滅亡した。
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