樽の中のディオゲネス
ディオゲネスという名前の人物はブリタニカ百科事典では4人いる。アポロニアのディオゲネス、セレウケイアのディオゲネス、デイォゲネス・ラエルティオス。有名なキュニコス派の「樽の哲学者」はシノペのディオゲネスである。アレクサンドロス大王が哲学者のディオゲネスの評判を聞き、コリントにいた彼を訪ねた。大王からなにか所望のものはないかとたずねられたのに対して、日なたぼっこをしていたディオゲネスは、「そこを少しどいてくれ。日が当たらないから」と答えて、追いはらうようにしたという。大王は、「もし私がアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスになりたい」といった。
ディオゲネス(前412-前323)は両替商ヒケシアスの子として黒海地方のシノぺに生まれた。父は通貨改鋳の罪で獄死し、彼は国外追放となり、アテネに出てきた。そこでソクラテス門下のゴルギアス(前483-前376)の弟子のアンティテネス(前444-前371)に学んだ。アンティテネスは「幸福は徳に、徳は知に根ざす」という思想で知られる。(この意見はストア派に取り入れられる)講義をはじめた場所がアテネ郊外のキュノサルゲス(白犬の意)とよばれる体育館だったのでキュニコス派(キニク派)と呼ばれる。明治時代、いやしめて犬儒派と訳された。犬儒派の開祖はアンティテネスであるから、弟子のディオゲネスが犬のような生活をしていたから犬儒派とするのは誤説である。 ディオゲネスの思想がどうものなのか知らないが、東洋の老荘思想に近いものかもしれない。
キュニコス派の哲学者には、アンティテネスの他に、ディオゲネスの弟子で、同じく放浪の生活をおくったテーベ出身のクラテス、そして名門の生まれながら、クラテスの人柄に魅せられ彼と結婚した女性学者ヒッパルキアが知られる。キュニコス派、つまりキニク派の特徴として見られるのはヒニク(皮肉)である。次の逸話が示している。
あるとき、ディオゲネスはまだ昼間なのにランプをつけて、「人間はいないか。人間はいないか」と叫びながら街の中を歩いていた。これは、本当に人間の名に値する有徳な人間がいないことを皮肉った話である。「習慣は第二の天性である」という言葉もパスカルよりも以前にディオゲネスが皮肉で使っている。習慣はつまり人為(努力)により形成されるが、習慣の拘束力のつよさとその無意味さを指摘したものである。人が家屋に居住するという習慣を見直すため、ディオゲネスは神殿や倉庫で寝ていた。あるときは酒樽の中で寝ていたので人々は彼のことを「樽の中の哲学者」と呼ぶようになった。このようにディオゲネスの思想は無一物無所有の生活実践から生まれたので、東洋の禅と共通する思想が多く見られる。近代の日本でディオゲネスが知られるようになって、ディオゲネスの逸話には、一休の逸話を借用した国産がみられる。
ディオゲネスの思想で最も重要と思われることは、彼がポリス、国家、民族の枠を越えた意識を最初に持った思想家であり、「自分はコスモポリタンだ」と言ったと伝えられる。コスモポリタ二ズムはコスモス(世界)とポリス(市民)の合成語で、ディオゲネスは個人主義的な理念を含む世界市民主義の開祖といえる。
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詩人と哲学者を尊んだギリシャは偉大な文化を残しました。
言葉と思考を最上の人間の営みとしたギリシャの古代文明のすばらしさ・・。( ̄▽ ̄)
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年11月20日 (水) 08時50分