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2014年2月22日 (土)

感動する作品の陥穽

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   ゴーストライター発覚前、作家の五木寛之は「佐村河内守さんの交響曲は、戦後の最高の鎮魂曲であり、未来への予感をはらんだ交響曲である。これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ」と大絶賛していたことは、すでに周知の事実である。感動が見るもの、聞くものに与えたイメージは一種の独断となって大きな陥穽となるケースがしばしばみられる。文芸評論家で高名な小林秀雄が上野美術館で開かれた「泰西名画展覧会」でゴッホの「鴉の群れ飛ぶ麦畑」を初めてみたのは1947年3月のことである。 

    「ただ一種異様な画面が突如として現れ、僕はとうとうその前にしゃがみ込んでしまった」この不思議な感動が何処から起こるのか考えるため、小林はゴッホの関係資料を漁って読む。そして名著といわれる「ゴッホの手紙」を発表した。有名な箇所は「僕が1枚の絵を鑑賞していたということは、あまり確かではない。むしろ、僕は、ある一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいたように思われる」。小林が感じた「巨きな眼」とはゴッホが写生しているときにみまわれる恐ろしいような透視力について語っている。肉眼というよりも心眼をいうらしい。だが小林が感動したゴッホの作品は実物ではなく複製画だった。「ゴッホの手紙」は絵画研究というよりも、絵画から切り離した、その「巨きな眼」の秘密をゴッホの手紙から求めようとした、独自の解釈というほかない。

   近年、日本でのゴッホ研究が炎の天才画家的な絵画から離れた伝記重視の傾向に懸念をもつ人もでている。小林が感動した「鴉が群れ飛ぶ麦畑」も悲劇的な最後の作品であるか分からないという。本当に自殺だったのか?貧しいゴッホがどこで拳銃を手に入れ、どこで自分を撃ったのか。銃創は自分で撃つたとは考えられない角度でついている。そのため他殺説、事故説などもでている。白樺派が紹介して以来、文学者のゴッホ芸術への思い入れが真のゴッホ研究への妨げとなっているようだ。

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