イエスの容姿
新約聖書は洗礼者ヨハネについて人物描写をしているが、イエスについてはしていない。そのことから結論してよいのは、イエスは、外面的にはその時代の他のパレスチナのユダヤ人と本質的に異なるところはなかったということである。こういう結論は、ユダヤの反対者たちが黙認していることで確証される。ラビたちは、正しいユダヤ人、特に教師の外貌に対しては非常にはっきりした基準をもっており、この基準にそぐわないものを侮蔑し冷酷に批評した。イエスの姿や衣服については、古代ユダヤ人の攻撃は、少しも非難に価するものを見いださなかった。ということは、もしイエスの外貌について知ろうとするなら、当時のパレスチナのユダヤ人の像を素描しなければならない、そして、ばらばらの間接的な福音書の証拠から得られるわずかな個性的特徴を加えればよいということを意味している。
ラビたちの信念によれば、神の臨在の反映は、ただ背の高い強健な人間にだけありえた。イエスは明らかにこういう身体的資格をもっていたはずである。でなければ、反対者がイエスの外見に対して、攻撃をしないということはなかったはずである。幼いイエスの満足な成長に関するルカの記録と、しばしば大急ぎで祭りの旅をしたイエスに関するヨハネの証言とは、このことで一致する。要するにイエスは、少なくともユダヤ人の標準的な大きさであった。
古代パレスチナのユダヤ人の皮膚は明褐色で、目はたいがい褐色であった。しかし青い目の人もいないわけではなかった。イエスの目の色について福音書からは何も知りえない。しかし、われわれが聞いているのは、人々がイエスを見て40歳と解したということである。そのことから、イエスはあまり若くは見えず、当時おそらくすでにじゅうぶん働き切って、憂いをふくんだ顔をしていたと結論すべきだろうか。とすれば、たとえばレムブラントの何百グルテンかのキリストか、あるいはルーヴルにあるエマオ途上のキリストのように、イエスを考えることが許されるだろうか。(引用文献:シュタウファー著「イエス その人と歴史」日本基督教団出版部)
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