智恵子とオリンピック
2月7日からソチオリンピックが開催されるが、日本人が五輪中継に沸き立つのはいつごろからであろうか? 高村光太郎の「智恵子の半生」には次のようにある。「昭和六年私が三陸地方へ旅行している頃、彼女に最初の精神変調が来たらしかった。(中略)翌七年はロサンゼルスでオリンピックのあった年であるが、その七月十五日の朝、彼女は眠から覚めなかった」智恵子は大量の睡眠薬を飲み自殺を図るが未遂に終わる。それから6年後に亡くなっている。「智恵子の半生」は1956年の新潮文庫に収められた一文であるが、光太郎が智恵子の最初の入院とオリンピックとを関連づけて記憶していることに注目される。
ロサンゼルス・オリンピックの開幕は1932年7月30日のことで、世界恐慌の影響で参加国は38ヵ国と少なかった。日本は米国に次ぐ131人の選手団を送り、三段跳び、馬術、水泳で7つの金メダルを獲得。有名なNHKの河西三省アナの「前畑ガンバレ!」は4年後のベルリンオリンピックのことであるが、ロサンゼルス・オリンピックのときラジオの実況中継はあったのだろうか。いろいろ調べたが、海外放送の開始は1934年5月のマニラからの極東オリンピック大会中継放送が最初らしい。つまり高村光太郎は病院で智恵子を看護しながらロサンゼルスオリンピックの結果のラジオニュースを聞いていたのだろう。
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