西行と文覚
乱暴者で知られた文覚は、日頃から、西行のことを快く思っていなかったが、今日こそは目にもの言わせてやろうと待ち構えている。文覚の弟子たちは、はらはらしている。だが、いざ西行と対面すると、和やかな雰囲気のうちに何事もなかったかのように西行は帰っていく。そこで、弟子がどうしたのかと聞くと、「西行に自分にぶたれるような面構えがなく、こちらのほうこそやられてしまう」と言ったという。頓阿(1289-1372)が著した「井蛙抄」に載っている。
西行は治承4年、伊勢に居を移し、文治2年、東大寺復興勧進のため再度陸奥への旅に出る。帰国後、居を河内国弘川寺に定め、歌人としても最も円熟した活動を行った。建久元年2月16日、73歳で没す。
« トレチャコフ美術館 | トップページ | イエスの容姿 »
西行と文覚: ケペル先生のブログ
投稿: http://partydresses.blog.fc2blog.us/ | 2014年3月11日 (火) 05時50分