ナスカの魔女マリア・ライへ
1932年ヒトラーにより自由が失われていく祖国ドイツをあとに、28歳の女性マリア・ライへ(1903-1998)がたった一人ペルーにやってきた。1939年リマで開かれた考古学の国際会議でアメリカの考古学者ポール・コソック(?-1959)が「ナスカの地上絵は世界最大の天文書だ」という発表を聞き、ライへは1941年初めてナスカとフマナ平原を訪れる。箒と図面を持った彼女を見て、地元の子どもたちは魔女と囃し立てた。それでも彼女は黙々と研究に没頭した。こうしてライへの情熱によって、ナスカの地上絵は世界中に知れ渡るようになった。現在、地上絵近くの「マリア・ライへ博物館」の庭にある墓に、妹とともに埋葬されている。
地上絵の大部分は直線あるいは滑走路のような幅広い帯であるが、ハチドリ、コンドル、サル、キツネ、シャチなどの動植物を表わしたものもある。それにしても2000年ほど前に、誰が何の目的で描いたのか?これまでライへの天文暦法説、ザウデマやイスベルの社会事業説、ホヌエやランチョなどの雨乞い儀式説など諸説あるが、いまだ謎に包まれている。(Maria Reiche,Nasca,Jumana) 参考:『ナスカの地上絵』 シモーヌ・ワイスバード 大陸書房
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