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2014年2月15日 (土)

「砂の器」の演出

   松本清張「砂の器」は原作と映画(松竹、野村芳太郎監督、橋本忍・山田洋次脚本)ではかなり印象が異なる。ハンセン病に関する記述は原作ではわずか数行にすぎない。小説には「本浦千代吉は、発病以後、流浪の旅をつづけておりましたが、おそらく、これは自己の業病をなおすために、信仰をかねて遍路姿で放浪していたことと考えられます」とあるだけだ。この長編小説の中のわずか3行の記述を映画では、竜飛岬、信州路など日本各地でロケを行ない四季の情景を背景に父子の巡礼姿を後半音楽とともに効果的に使い大きな感動を呼んだ。ハンセン病への差別をドラマとして大きくクローズアップする演出で商業的に成功させた。音楽家、佐村河内守が全聾と被爆二世で注目を浴びたことと似ている。マス・メディアはつねに感動と悲劇性で大衆の興味を満足させようとするものである。

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コメント

たった今、1977
年にテレビドラマとして制作された「砂の器」(全6回、田村正和が本浦秀夫役、刑事は仲代達矢)を見終えたばかりです。この作品では、本浦千代吉は、戦争による精神疾患という設定になっていました。はからずも、父子の、巡礼とは名目ばかりの、物乞い同然の流浪の姿に涙してたのは、マス・メディアの常套手段に乗せられての感動かもしれませんね。佐村河内守は脚光を浴びた頃からすでに胡散臭い印象を受けました。

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