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2014年1月28日 (火)

竹中半兵衛の逸話

    竹中半兵衛重治(1544~1579)は、はじめ斎藤龍興に仕えたが、永禄7年、舅の安藤守就とはかり、白昼わずか16人で稲葉山城を奪って、数ヶ月後には龍興に返還した。その動機については、龍興の重臣斎藤飛騨守に櫓上から小便をかけられるという侮辱をうけた報復であるとも、龍興の重臣日根野備中守と舅守就との間に隙を生じ、日根野が安藤一族を討とうとしたため、その機先を制したものともいう。 

    竹中半兵衛は、そののち織田信長に仕え、羽柴秀吉に配属される。秀吉が近江浅井攻め最前線の横山城の城番となったさい、秀吉の留守に浅井長政の攻撃からよく城を守った。その後、秀吉の中国経略に従い、黒田官兵衛とともに軍師的な役割を担ったが、天正7年、播磨三木城包囲の陣中で発病。付城の平井山城で没した。 この間、黒田官兵衛が荒木村重の説得に失敗して幽閉されたとき、信長の命に違背して、官兵衛の人質松寿丸(のちの黒田長政)を菩提山城にかくまった話など、多くの逸話がある。(参考:『歴史読本』2005年8月号)

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