樋口則義
樋口一葉の父、樋口則義(1830-1889)は小前百姓樋口八左衛門、ふさの長男として甲斐の国山梨郡中萩原村(現:甲州市塩山)に生まれた。幼名を大吉、後に大輔、八十吉、八代吉、八十之進、為之助などと称した。農業より学問を好んだ。一葉の文学的素質はおそらく父の影響であろう。侍になりたい志をもち、江戸にのぼり、菊地大助という旗本の家に入り、のちに八丁堀の与力・浅井竹蔵の株を買って幕臣となった。大吉が武士でいられたのは1年足らずだった。明治維新後、横滑りのような形で東京府記録方に勤務。東京府庁、警視庁での大吉の官位は最後まで九等官で終わった。最初の月給は10円、明治20年の警視庁退職時は25円だった。明治22年、則義は荷車請負業の事業は失敗し、失意のうちに死亡した。享年60歳。
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