播磨国黒田氏系図
ドラマ「軍師官兵衛」では黒田官兵衛は祖父・重隆の代に備前の福岡(現在の岡山県長船町)から播磨に移ったという設定で、小寺の重臣たちから常に外様扱いされたことになっている。しかし、近年の研究によると、播磨国黒田氏系図に九代、二百余年にわたる播磨国黒田氏の一族とみられ、播磨の豪族の家系とみられる。赤松円光の息子・重光ー重勝ー重康ー光勝ー重貞ー重昭ー重範ー重隆と続いた。重隆(1508-1564)の嫡男・治隆が合戦で戦死する。二男・孝隆は、1545年、政敵であった香山重道を討って、その功績により小寺の姓を与えられ、小寺職隆(1524-1584)と称した。播磨黒田氏の血脈は絶えたが、その子、小寺官兵衛に受け継がれる。これが謀将として知られる黒田官兵衛(如水、1546-1604)である。
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