無料ブログはココログ

« 劣等生だったジョン・F・ケネディ | トップページ | 如拙「王右軍書扇図」 »

2014年1月28日 (火)

シャルルマーニュ(カール大帝)

Charlemagneliege1    本日は「逸話の日」。「い(1)つ(2)わ(8)」の語呂合わせ。 カール大帝(742~ 814)の814年の忌日なので、カール大帝の逸話を集める。ピピンの子。フランク王(768~814)・西ローマ帝国皇帝(800~814)。仏名はシャルルマーニュ、英名はチャールズ、独名はカール、西名はカルロス。 

    シャルルマーニュは西ヨーロッパの大部分をひとまとめにして、かつての西ローマ帝国が復活したかのような大帝国・フランク王国をつくりあげたので、彼の偉大さはヨーロッパ人の心の中に、いつまでも残った。そして彼の死後、詩人たちは『シャルルマーニュの歌物語』を書いた。その中でも、大帝の第1回スペイン遠征の際に戦士した勇士ローランを歌った「ローランの歌」はとくに有名だ。歌物語では、シャルルマーニュが200歳を超え、髪もひげも雪のように真っ白な姿で登場し、キリスト教徒を守るためにサラセン人と雄々しく戦っている。もちろん、現実のシャルルマーニュは、そんな高齢まで生きたわけではなく、72歳で死んでいる。しかし中世の君主としては、彼はかなり長生きだった。このように長寿を保つために、彼は独特の健康法を実践していたという。そのひとつがスポーツで、乗馬と狩猟も好きだったが、とくに水泳が大好きで、彼のアーヒェンの宮廷には大温泉プールがつくられていた。彼は宮廷の人びとを引き連れて水泳を楽しみ、ときには100人もの人がプールを埋めたと伝えられる。 

    彼は酔っぱらいが嫌いなので大酒はしなかったが、大食いで、「断食は体をこわす」といって、好物の焼肉をむやみに食べた。医者が慎むようにいうと、ひどく立腹した。5回結婚し、そのほかに第2夫人が4人いた。そのため20人ほども子どもがあった。彼は遠征にも旅行にもこの大家族全員を引き連れていた。息子たちは早死にする者が多く、彼の死後まで生き残ったのは、たったひとりだった。娘たちは、たいてい無事に育ったが、彼は娘の結婚をなかなか許さなかった。婿が強大になることを恐れたのである。そこで彼女たちは、親の許しを得ずに勝手に結婚したりして、宮廷のスキャンダルになった。

« 劣等生だったジョン・F・ケネディ | トップページ | 如拙「王右軍書扇図」 »

「世界史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 劣等生だったジョン・F・ケネディ | トップページ | 如拙「王右軍書扇図」 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31