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2014年1月28日 (火)

山本五十六の戦時下の恋

 うつし絵に口づけしつつ幾たびか

 

  千代子と呼びてけふも暮しつ

 

      *

 

 おほろかに吾し思はばかくばかり

 

  妹が夢のみ毎夜に見むや

 

    海軍少将・山本五十六が新橋芸者の梅龍(当時28歳)初めて会ったのは、昭和8年、築地の料亭錦水の宴席でのことだった。梅龍、本名は河合千代子(1904-1989)は家業は株屋であったが、関東大震災後、没落し、一時、ある資産家の世話になったが、やがてその人とも別れ、1年前からお座敷に出ていた。宴席で吸い物が出た。五十六は日本海海戦で左二本指を失っていたため、吸いついたお椀の蓋をとるのがなかなかできなかった。梅龍が「とってあげましょうか」と声をかけた。それに対して五十六は、「自分のことは自分でする」と怒ったように答え、それをきいて、梅龍は「いやな人」と思ったという。しかし、二人の仲は急速に深くなった。戦時下、寸暇を惜しんで二人は会い、手紙を交換する。妻子ある元帥と芸者の10年に及んだ恋は、五十六のブーゲンビル上空での戦死により、咲くことなくはかなく散った。(参考:渡辺淳一「キッスキッスキッス」小学館)

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